村上龍の分厚い手
村上龍と握手したことがある。
まだ若かった頃、どうしても彼に会いたくて、生身の彼が存在する空気を吸いたくて、彼が主催するキューバのバンドのライブへ行った。場所は川崎だった。
会場に着くと、ロビーに彼がいた。本物の村上龍が、すぐそこに立っていた。
ただ遠くからその姿を眺めているだけで、もう十分に胸がいっぱいだった。活字の向こう側にいた巨大な存在が、同じ空間で呼吸をしている。それだけで目的は果たされたような気がして、勝手に満足していたのだ。
すると、一緒にいた友人が背中を突いて言った。「絶対に行った方がいい」
その一言に弾かれるようにして、彼の目の前へと歩み寄り、手を差し出していた。
握り返してきた彼の手は、驚くほど分厚かった。ただの作家の手ではない。重く、肉感的で、圧倒的な質量を持った手だった。
その熱と厚みが掌に伝わってきた瞬間、電流のようなものが走った。「ああ、これが『愛と幻想のファシズム』を書いた手なのか」
あの壮大で、暴力的で、緻密で、読者の脳髄を揺さぶるような物語は、観念や頭の中だけで作られたものではなかったのだ。この分厚い肉体から、この圧倒的な質量を持った手から、物理的に捻り出されたものだったのだ。
遠くから眺めているだけでは、その「分厚さ」は絶対にわからなかった。一歩踏み出して、直接触れたからこそ、表現者の肉体が持つ本当の凄みが皮膚に刻まれたのである。
いま、現場へ足を運び、店主と真正面から向き合ってカメラを回し続けているのも、きっとあの日の続きなのだと思う。
画面越しに眺めるのではなく、その場所へ行き、その人間の熱量に直接触れること。あの夜、川崎のロビーで握った「分厚い手」の感触は、いまでも掌の奥にしっかりと残っている。
