ラーメン・ショートショート
獣骨ラーメン(中)

今朝の骨は、ここ3年で最高だった。
新潟・魚沼の若い個体のゲンコツだ。叩き割ると髄が桃色にとろける。この色が出たとき、私に内在する職人のポコチンが確かに上向いた。豚骨の旨みとは次元が違う。同じ「骨」という文字を使っているのが申し訳ないぐらい、スープにしたときの奥行きが別物だ。
「狂二郎さん、朝からすごい匂いね」
花屋のミヨが裏口から顔を出す。うちは十条銀座商店街の背脂ラーメン専門店「大怪獣」。私が店主の黒田狂二郎だ。
怪獣は、ガラの匂いで産地がわかる。北海道・日高のガラは立ちが早いが奥行きがない。足が速いだけのアスリートと同じで、長い勝負には向かない。熊本・阿蘇のは髄が甘い反面、8時間を超えると味がぶれる。秋田・男鹿のは忘れられない。包丁を入れた瞬間、指のあいだを脂が伝い、手首まで温かくなった。「もう出せない」と生産者の吉岡が電話で言ったきり、連絡が途絶えた。隠岐の鶴岡さんのは今年痩せていた。「海が荒れてね」と詫びていた。生産者の苦労は、骨の種類を問わない。
寸胴に火を入れる。魚沼のガラが湯の中で崩れ始めると、スープの表面に琥珀色の脂が浮き、店の中がゆっくり甘い膜に包まれる。この脂を木べらで回さず待つ。20分。脂が自分からスープに沈むのを見届けてから、初めてタレを合わせる。獣の骨が、一杯のラーメンになる瞬間だ。
問題は、昔から麺だ。
獣骨のスープは密度が桁違いだ。国産小麦では受け止められない。合わないのだ。今のところカナダ産の1CWだけが、あの重さに耐える。製麺所の三橋が毎年「今年こそ道産で試しません?」と言い、毎年合わない。私がかつて「全部国産で揃えたい」と漏らした一言を、この男は棺桶まで持っていく気でいる。ありがたい。銀座の和食屋も、浅草の鞄屋も、素材の産地で同じ壁にぶつかっていると聞く。扱う相手が相手だ。簡単にいくわけがない。
さて、うちの看板。大怪獣ラーメン(中)。
常連は「獣骨ラーメン」と呼ぶ。気に入っていないが、否定はしない。自由だ。
味はエリアのものだ。十条銀座で働き、暮らし、腹を空かせてこの商店街を歩いてくる人間の体に合わせてある。以前、取材に来たライターがこの考えを「味圏論」と名づけた。一部で広まったらしい。気に入っていないが、否定はしない。自由だ。ただ、エリアの外から来た旅行者、馬鹿な評論家、未熟なラヲタ、アホのインフルエンサーの舌に合わないのは、当たり前のことだ。そういう奴は大人しくマクドナルドやミスタードーナツへ行けば良い。個人店に入る資格はない。個人店はそういう論理で組み立てていない。
今朝、その当たり前に正面からぶつかった男がいた。
神奈川方面で有名なグルメ評論家だという。名前は覚えていない。覚える理由がない。朝の営業中にカウンターの端に座り、大怪獣ラーメン(中)を頼み、食い、帰り、昼にはネットに記事が出ていた。
「獣臭さが鼻につく」「脂が支配的で味の輪郭がない」「足を運ぶ価値は、否」。
私の味を否定した、この評論家に対する感想は一つだ。
お前誰やねん。
怒りではない。本気でわからないのだ。冬山のピッケルで刺身を引いて「切れ味が悪い」と叫ぶ人間がいたら、それはピッケルの問題ではない。刺身を引くのに持ってきた道具が間違っている。それだけのことだ。私の味を否定したあの評論家も同じだ。このエリアの味を、エリアの外の舌で測りに来た。道具が間違っている。
夕方、仕込みの手を止め、スマホに映った評論家の顔を見た。寸胴に向かって呟いた。
「馬鹿の標本だな」
翌朝から、商店街が動いた。
まず魚屋の鉄男が、私の味を否定した評論家の記事をプリントし、「本日のおすすめ」の横に貼った。赤い筆ペンで「本日の馬鹿」と添えて。クリーニング屋の原田さんは評論家の顔写真をシミ抜きの見本台に置いた。「この程度の汚れは落とせます」の札つきで。肉屋の孫、中学2年の翔太は、レビューを素材にラップを録り、商店街のスピーカーで3日間流した。サビが「足を運ぶ価値は否、でもお前の足が臭ぇ」。八百屋の源さんは何も言わなかった。ただ毎朝、仕入れの段ボールの底に評論家の写真を敷き始めた。
黒田狂二郎が「馬鹿の標本」と認めた人間は、このエリアでこうなる。やり方は一人ひとり違う。私は一度も頼んでいない。エリアにはエリアのルールというものが自然に生まれる。その象徴が「味」だ。
3日目の夜、店を閉めた。
シャッターを引くと、十条銀座の秋の空気が首筋に触れた。アーケードの蛍光灯が一本だけ切れかけて、青白い光を瞬かせている。その光が濡れたアスファルトに落ち、商店街の端まで一筋の線を引いていた。どこかの店の換気扇が、もう関係のない誰かの夕飯の匂いを細く吐き出していた。
荒川に降りた。
いつもの場所だ。だが最近、気になっていることがある。この川沿いで見かける怪獣の数が、明らかに減っている。5年前は夜になれば3頭は見えた。今は、あいつだけだ。
あいつは背中を向けて座っていた。近づくと、こちらを見もせずに尻尾で地面を一度叩いた。それが挨拶だ。いつものように寸胴と包丁を担いで背中に上った。月明かりの下で脂を削ぎ、骨の継ぎ目に刃を入れた。
手を止めた。
ここで自分が獲り続けることの意味を考えていた。適正な数がいなければ、いずれこの川から怪獣が一頭もいなくなる。生産者から仕入れたガラのほうが安定して旨い。わかっていた。わかっていて、ここに来ることをやめられなかったのは、この時間が好きだったからだ。
だが、好きかどうかで判断する問題ではない。バランスを取ることも、職人の仕事だ。
包丁を鞘に戻した。
あいつの背中を降り、河川敷の草を踏んで堤防を上がった。あいつは振り向かなかった。
帰りの道で、ふと考えた。
あの評論家がうちに来なければ、自分の味をこの角度で見つめ直すことはなかった。獣臭いと言われたことで、初めてスープと向き合い直した。結果、スープの問題ではなく、素材の出どころの問題だと気づいた。
荒川で独りで削ぐのをやめて、信頼できる生産者のガラだけで炊く。そのほうが味が安定する。川の個体数も戻る。正しい判断だ。
きっかけをくれたのは、あの馬鹿の標本だ。
翌朝、仕込みをしながら、私は初めて寸胴に向かって笑った。
「感謝するよ。名前は知らんけど」
