RAMEN FABLES

ラーメン・ショートショート

U3

Ramen Crazy

旨さを競うラーメン大会の第2回が行われた。

第1回から、ちょうど10年が経っていた。

10年前の大会は、審査員長が3杯目で死んで終わった。死因は旨さ。あの日から日本中で「旨さとは何か」という議論が始まり、テレビは毎晩それをやり、誰も結論を出せず、大会は開けなくなった。

結論を出したのは、鼻水だった。

第1回から4年後、九州大学の研究者が、ある物質を発見した。人間が「旨い」と感じた瞬間にだけ、鼻の粘膜から分泌され、鼻水と一緒に出てくる。研究者はそれをU3と名付けた。発見のきっかけは、研究室で豚骨ラーメンを食べながら鼻をほじっていたら、指先が異常に光ったことだったという。論文の謝辞には「私の鼻に感謝する」と書いてあった。

旨さは、測れるようになった。

鼻の下に小さなトレーをつけて食べる。出たU3の重さをミリグラムで量る。それだけだ。

その結果、旨さを語る職業が消えた。

言葉で旨さを説明する仕事は、数字の前では意味がなくなったからだ。

その筆頭が、評論家だった。「奥行きがある」「後半に伸びる」「これは事件」と書いていた連中が、全員、鼻の下に数字を貼られた。ある有名評論家は絶賛した店で0.2ミリグラムしか出ず、翌日から農業を始めた。評論家は壊滅した。グルメサイトは閉鎖され、跡地に鼻水の測定センターが建った。

測れるなら、競える。

そういう理屈で、第2回が開かれた。

俺は出場した。

10年前、2位だった男だ。小倉で店をやっている。あれから10年、毎朝、豚の背ガラを割る前に、骨の内側の黒い髄を親指で押し出している。1本30秒、120本。親指の爪が黒く染まって、10年落ちない。

白岩も出た。10年前に審査員長を殺した男だ。店の看板には今も「殺せる1杯」と書いてある。

会場は10年前と同じ、福岡の市民体育館だった。客は3000人。全員が鼻の下にトレーをつけていた。観客のU3も参考記録として量る、という主催者の趣味だった。

審査員は1人だけだった。

死んだ審査員長の、息子だった。

彼は大会の1時間前に、白いカプセルを飲んだ。中身は、この10年間、全国の測定センターで国民から回収したU3を精製したものだった。国民1億2000万人分の「旨い」を1粒にしたカプセルで、審査員はそれを飲むことで「国民の鼻」になる。

精製されたU3は白く、粘り、見た目は完全に、中学生が枕に残すあれだった。

審査員は飲んだ。3秒後、鼻の穴が明らかに広がった。

鼻の下に、銀色のトレーがクリップで固定された。

「痛い」

審査員が言った。

「鼻毛が、挟まって」

主催者は「我慢してください」と言った。国民の鼻に、我慢を強いた瞬間だった。

審査が始まった。

1杯目、札幌の味噌。1.8ミリグラム。

2杯目、喜多方。0.9。

3杯目、家系。3.1。トレーの上で、U3が朝日を受けたバターみたいに光った。

観客席で鼻をかむ音が続いた。3000人の「旨い」が、ティッシュに集まっていく。係員がそれを台車で回収していた。台車が3台になった。

俺の番は7番目だった。

背ガラの髄を10年押し出したスープを、審査員の前に置いた。

審査員は1口飲み、2口飲み、3口飲んだ。

トレーを見た。

0.0ミリグラム。

出なかった。

10年前は2位だった。今は、数字にすらならなかった。

司会が「記録なし」と言った。

白岩は12番目だった。

湯気が濃かった。10年前より濃かった。審査員が丼に顔を近づけた瞬間、湯気が鼻の穴に入り、審査員が小さく「うっ」と言った。

トレーに、ぼたっ、と落ちた。

14.6ミリグラム。

大会記録だった。

白岩は2度目の英雄になった。「殺せる1杯」の看板の横に、「国民の鼻が認めた」という看板が増えた。

俺は、店に帰った。

夜だった。関門海峡の上に、半分の月が出ていた。寸胴の湯気が窓から出て、海の風に横へ流され、月の光を一瞬だけ運んで、消えた。

俺は1人で、自分の1杯を食った。

鼻の下に、何もつけずに。

鼻水が出た。

止まらなかった。

翌週、九州大学が訂正を出した。

U3は、旨いときではなく、鼻毛が抜けたときに出る物質だった。