ラーメン職人がいるお店
厨房に「ラーメン職人」がいるということ。この当たり前のようでいて、実はまったく当たり前ではない価値について以前から考えている。どうすればこの決定的な価値が、ラーメンマニアではない一般の客にまで、圧倒的なリアリティをもって伝わるようになるのか。それをずっと考えているのだ。
コーヒーの世界には「バリスタ」がいる。ワインの世界には「ソムリエ」がいる。ボタンひとつで一定の味のコーヒーが淹れられる時代に、わざわざ特定のカフェへ足を運ぶのはなぜか。そこに、その日の豆の状態や湿度を見極め、最高の一杯を抽出するバリスタが立っているからだ。その人間がそこに存在すること自体が、明確な「付加価値」として世間に認知されている。
実に普通のことで、素晴らしい。しかし不思議なことに、ラーメン界にはこの「普通」のことがまったく配備されていない。これこそが、我々の言う「伸びしろ」というやつである。
厨房の奥に、自らの人生と神経をすり減らしてスープと向き合う「職人」がいる店と、そうでない店には決定的な「違い」があり、その「違い」は世の中に普通に示すべきだろう。同じ「ラーメン屋」という看板を掲げていても、そこで起きている現象はまるで別物だ。完全に別の食べ物だと言ったっていい。
その日の気温や湿度で加水率を微調整し、寸胴の沸き方ひとつで火加減を変え、麺が茹で上がる数秒のタイミングに全神経を集中させる。職人がいる店の一杯には、その人間の「生きた時間」と「判断」がリアルタイムで注ぎ込まれているのだ。
その違いは、レコードを流すだけの部屋と、目の前でミュージシャンが生身の肉体で楽器をかき鳴らすライブハウスくらいの違いがある。にもかかわらず、ラーメンの世界には特に、「あの店には職人がいるから行く」という極めて明確で知的な店選び(セレクト)の基準が、まだ社会の中に言語化されて根付いていない。このセレクトがスタンダードになったとき、さらにラーメンという価値や魅力、その面白さが炸裂すると思うのだ。
なぜ、今日その店を選んで暖簾をくぐるのか。「腹を満たすため」ではなく、「あの職人の仕事に触れるため」という明確な理由を、世の中のスタンダードとして示すこと。
そんな「普通」のことをいかにやるか、これからも勝手に考えていきたい。いざ実行するとなると、これがまた、なかなか色々な課題が見つかるものだからだ。
厨房に立つラーメン職人の存在そのものを、誰もが誇りをもって選べる最高の「付加価値」へと押し上げること。それを、誰にでもわかる強い言葉と圧倒的な映像で証明していくのが、我々が勝手に我々に課す仕事だ。
