激動の日々を書き残す
産業革命のうねりすら超えるのではないかと肌で感じるほど、いま世界の変化のスピードは凄まじい。
息をつく間もないほどの激動の日々が、目の前を猛烈な勢いで駆け抜けていく。
このダイアリーもまた、その吹き荒れる時代の暴風の真ん中で書いている。
世界がどこへ向かい、この激流の果てにどんな景色が待っているのかを、我々がすべて見通すことなど到底できない。けれど、どれほど時代の風が荒れ狂っていようとも、「その風を全身に浴びながら、今日という一日をどう生き抜いたのか」を言葉として刻み残すことならできる。
世界を揺るがすような大事件や、誇らしい大業績である必要などまったくない。その日、何を目撃し、どの瞬間に胸を揺さぶられたのか。たった一行でもいいから、己の言葉で書き留めておく。そうやってアンカーを打ち込むことだけが、濁流のように押し寄せる一日をただの通過点として消費せず、自分の血肉として繋ぎ止める手立てになると信じている。
最近は、群馬県高崎市での活動に身を投じる機会が自然と増えてきた。
高崎は名うてのグルメ王国であり、当然ながらラーメンの層の厚さも最高だ。しかし、この街が放つ真の引力は、単に「旨いものが食える」という胃袋の満足だけでは決して終わらない。街の路地や歴史の深層に幾重にも折り重なった文化的な文脈があり、そこから立ちのぼる特有の熱気と勢いがある。高崎という土地に立つと、先人たちが長い時間をかけて地層のように積み上げてきたものと、いま現在進行形でうごめいている新しい胎動の両方に、手触りとして触れることができるのだ。それが、記録者としてとにかく楽しくて仕方がない。
日本を見渡せば、高崎のように独自の磁場と誇りを宿した素晴らしい街が、全国津々浦々に息づいている。
「街に根づく文化や伝統」と言ってしまうと、ひどく月並みな言葉に聞こえるかもしれない。
だが、街の誇りとなるような尊い営みは、放っておいて勝手に残ってきたものなど何ひとつとしてないのだ。誰かが歯を食いしばって形にし、誰かが生活を削って暖簾や看板を守り抜き、そして今この瞬間も、誰かが未来へ手渡そうと汗を流し続けている。そうした無数の無名の人々の執念とバトンの連続によって守り抜かれてきたものこそが、いま我々の前に立ち現れる「街の魅力」の正体なのだ。
激動の時代を記録するとは、単に新しく生まれた技術やトレンド、目まぐるしい事件の表層を追いかけることではない。
その強烈な風を真っ向から受け止めながら泥臭く生きる人々の体温や、街の底に沈殿する分厚い文化の文脈を、逃さずすくい上げることだ。
我々は今日も、吹き荒れる時代の風を正面から浴びながら、この目で見たもの、心に刻まれた気配を、一つひとつ丁寧に記録していく。
今日というかけがえのない一日を、無駄死にさせないための引き継ぎ業務として。
