RAMEN DIARY

耳で見る「RAMEN MOVIE」

Ramen Crazy

対話を中心とした新たなスタイルで
「RAMEN MOVIE」の収録を行ってきた。

形式として分かりやすく言えばポッドキャストだが、我々が目指しているのは単なる音声コンテンツではない。「耳で見るRAMEN MOVIE」というべき試みだ。

マイクを挟んだ対話は、気づけば5時間を超えていた。

語り合った相手は、これからの時代を背負って立つ若き作り手たちだ。

なぜ、その一杯を作るのか。誰の口へ、それを届けたいのか。どんな店として街に在り続けたいのか。修業先で何を授かり、何を誇りとして受け継ぎ、そして何を自らの意志で塗り替えたのか。

我々が今回の対話を通じてすくい上げ、抽出したかったのは、彼ら「若者たちの文脈」そのものである。

サッカー日本代表のように、進化し続けているチーム、業態、カルチャー、そしてマーケットには、いつの時代も若者たちの言葉と哲学が溢れている。もはやそれは完璧なる鉄則だろう。

若者は今、何を面白いと感じているのか。業界のどこに違和感を抱き、何を変えようとしているのか。これから先、この手でどんな景色を創り出そうとしているのか。

そうした瑞々しい言葉に触れるとき、我々はその世界の未来をもっと見たくなる。

では、ラーメン界の現実はどうか。若い作り手たちが自らの思想や葛藤をまとまった言葉として紡ぎ、受け手がそれに深く触れられる機会は、世の中にどれほど残されているだろうか。

我々の目には、あまりにも少なすぎるように映る。

だが、言葉に触れる機会が世の中にないからといって、若者たちが何も考えていないはずがない。

彼らは自らの屋号を掲げ、店のシャッターを開けている。素材を吟味し、寸胴の前に立ち、人とぶつかりながら働き、客の表情を見届けている。無数の決断を下し、その結果のすべてを己の背中ひとつで引き受けている。そこに、血肉の通った“一国一城の主”としての哲学がないわけがないのだ。

それが我々の分析であり、
今回の収録へと踏み切った確信に満ちた仮説だった。

そして実際にカメラとマイクを向けた現場には、
とてつもない収穫が待っていた。

日々の仕事のディテールを語るうちに、心の奥に抱えていた迷いがふと顔を出す。自分にとっては自明の常識だと思っていた流儀に対して、隣に座る別の若き店主から鋭い問いが投げ返される。その問いを真正面から受け止め、沈黙ののちにまた深く考え込む。

独立を果たし、一国一城の主となった表現者たちが、語り合うプロセスそのものを経て、リアルタイムで学び合っている。その思考が蠢く現場そのものを記録できたことこそが、今回の何より大きな収穫だった。

我々が世の中へ届けたいのは、まさにこうした生きた言葉である。

誰のラーメンが上か下か。誰の流儀が正しくて、誰が間違っているのか。同業者や他店がどうのこうの。そんなことに構っている暇はない。

そして我々は今回、編集の全工程にAIを本格的に導入する。文字起こし、膨大な対話の構造化、構成案の策定、映像素材のラフな配置に至るまで、人類を終わらせる力を持つと言われるパワーを制作の現場に組み込めるかを実験する。

AIを拒絶する判断は、ない。

AIを、我々は完全に使いこなすだけである。

耳で見る「RAMEN MOVIE」。

見終わったあと、彼らの見え方が変わると思う。