RAMEN DIARY

らぁめん かじの葉①

Ramen Crazy

千葉県松戸に、「らぁめん かじの葉」という店がある。カウンター8席の空間で、厨房に立つのは26歳の若きラーメン職人だ。

我々はこれからその暖簾をくぐり、彼の一杯を啜りに行く。

昨日、我々は店主へ実に5時間に及ぶインタビューを敢行した。店は定休日だった。だが、日々の営業に向けた仕込みに加え、週末に控えた松戸のラーメンイベントに向けた大量の仕込みも重なっている。本来なら、インタビューなど受けている場合ではない修羅場の中、店主は我々の対話を引き受けてくれた。

店主の名は、一志 優(いっし・ゆう)。

我々は敬意と親しみを込めて「イッシー店主」と呼んでいる。

重要なのは、我々がまだ一度たりともイッシー店主のラーメンを食べたことがない、という事実だ。未食の状態での5時間インタビュー。傍から見ればどうかしている。だが、それこそが今回の取材において極めて重要だと考えていた。

なぜなら、ラーメンを食べる前から、
聞くべき問いが山のようにあったからだ。

なぜ、26歳の若さでこの過酷なラーメンの世界に身を投じたのか。なぜ、他でもないラーメン都市・松戸のこの場所を選び取ったのか。「かじの葉」という屋号には、一体どんな意図が込められているのか。そして、どんな味を創り出し、どんな店として生き抜いていきたいのか。

目指すラーメンの話になったとき、イッシー店主は不意に「木漏れ日」の話を始めた。彼が丼の中に思い描いているのは、公園の大きな木の下で、風に吹かれながら昼寝をしているような風景だという。まぶしい陽の光、土の匂い、肌を撫でるそよ風。あの全身がほどけていくような圧倒的な気持ちよさを、そのままラーメンで表現したいのだ、と。

詩的な美学を語る一方で、彼は極めて現実的な「家賃」の話も淀みなく口にした。「本当に金をかけたいのは、丼に注ぎ込む食材と、支えてくれる人件費です。だからこそ、家賃は徹底的に抑える」作りたい理想の一杯と、それを10年、20年と作り続けられるビジネスの骨格。26歳の若き職人は、その両輪を極めて冷静に、研ぎ澄まされた解像度で見つめていた。

この世代は、腐りに腐り果てたトンチンカンな経済環境、さらにはAIが生み出す史上稀に見る激変の時代の中で、「個人店として」ラーメンを作っていく宿命を背負っている。大手資本の論理や安易なギミックが通用しない荒野で、彼らは何を武器に生き残るのか。イッシー店主は、見事なまでにその時代変化に対応する論理と意志、そして確固たる技術(これから磨くべき技術も含む)をすでにその身体に宿し、自分の城に立っていた。

その思考の深さと覚悟に圧倒された我々は、思わず口走ってしまったのだ。「すばらしいラーメンだな」と。

まだ、口にしてもいないのに。

その言葉を聞いたイッシー店主は、静かに、しかし釘を刺すように言った。

「食べてください」

まったく、そのとおりだ。どれほど美学を語り合おうと、5時間熱狂的に言葉を重ねようと、我々はまだ彼の一杯を何ひとつ口にしていない。ラーメンのすべては、語られた言葉の中ではなく、あのカウンターの丼の中にしかないのだ。

頭でっかちな解釈は、もういい。今日、我々はただの「食べ手」として、彼が創り出す木漏れ日を啜りに行く。