ラーメンレーベル「Ramen Crazy」
いま、『Ramen Crazy』をひとつの「ラーメンレーベル」をコンセプトに、根底から組み立て直している。
そもそも「レーベル(Label)」とは何なのか。語源を辿れば、それはレコード盤の中央に貼られた小さな「標札(ラベル)」のことだ。まだ音楽がデータではなく黒い塩化ビニールの円盤だった時代、針を落とす前にまず目に入るその小さな紙切れには、誰がどのスタジオで、どんな哲学をもってその音を録音したのかという「血統と美学」が刻まれていた。
ジャズならブルーノート、ロックやヒップホップならデフ・ジャムやサブ・ポップ。優れたレーベルというのは、単に商品を右から左へ流す流通業者ではない。「俺たちはこういう狂気を持った表現者しか扱わない」という強烈な審美眼の旗印であり、アーティストの孤独な創作に最後まで並走し、その熱量を一切冷ますことなく、また勝手な解釈をしてさらなる狂気の渦(作品)としてパッケージして世界へ撃ち出す「表現の拠点」そのものなのだ。
単なるグルメサイトでもなければ、通りすがりの紹介屋でもない。我々が目指す「ラーメンレーベル」とは、まさにそれだ。惚れ込んだ店と並走し、その店のラーメンや職人の仕事を、同じ旗の下で時間をかけて世の中に伝え続ける場所のことである。
なぜ、そこへ辿り着いたのか。
少し前、ある実験をして猛烈に絶望したからだ。
話題のAIに指示を与え、世界中のあらゆるラーメン店をリサーチさせ、無数のレビューを解析させ、それらすべてを記事化させてみたのである。画面の上には、いかにも整った、それらしい記事が瞬く間に生成された。それを見た瞬間、背筋が凍るほど絶望した。最高にくだらなかったのだ。
「なんだ、こんなことは、もう誰でもできるじゃないか」
網羅すること。平均点をまとめること。表面的な情報をかき集めて綺麗に並べること。そんなカタログ作りには、もはや人間の人生を賭ける価値など1ミリも残されていなかったのだ。(この絶望感はかなり凄いもので、これから味わう人にはケツの穴を締めて戦うことをおすすめする)
そもそも、我々の特徴とは何なのか。思い返してみれば、とにかく道という道にある「すべての穴」に片っ端から落ちて、血だらけになって怪我をして、そこからなんとか這い上がり、自分の手でその穴を埋めてからでなければ一歩も先へ進めないという、救いようのない不器用さにある。そして驚くべきことに先日取材をした千葉県松戸市の「かじの葉」の店主もそうだった。彼も穴という穴にすべて落ちる不器用型の不死鳥なのだ。だから俺のラーメンはネイチャー感とか面白いことを言うのだろう。
穴に落ちると言っても、日本中をスーパーカブで走り、山道の急カーブのガードレールに突っ込んだり、暗い崖から転落したり、飛び出してきた小動物と正面衝突したりするような物理的な大惨事だけは、神のご加護でなんとか今日まで防いできた。だが、仕事や思考の現場においては、とにかく見事なまでにすべての穴へ真っ逆さまに落ちるのである。
AIの海で溺れかけ、巨大な穴の底で泥を舐めながら、ようやく我々が進むべき本当の方向が見えてきた。
世界中の店を薄く広く撫でるのではない。強烈な「作家性」を持つ特定の店舗だけに徹底的に特化し、そこにある濃度と、密度と、質量と、純度の高い情報だけを極限まで掘り下げて「作品」へと昇華させる。そしてそれを、これまでにない新たなラーメンの表現として世界へ放出するレーベルになることだ。
この話を周囲の一部の人間にしたところ、「なんだ、最初からそうやってるじゃないか」と笑われた。その通りなのかもしれない。だが、人間というのは愚かなもので、自分がすでにやっていることの本質を、自分自身で心の底から自覚するまでには、どうしてもこれだけの時間と怪我が必要だったのだ。
音楽の世界で、特定のレーベルのロゴを見ればそのカルチャーの純度がすべてわかるように。「あの店のことなら、Ramen Crazyへ行けばすべてがある」
そう思ってもらえるような唯一無二の居場所を目指すのだ。
さて、まずは、、、、である。
