ラーメンライス
米あってこその、ラーメンなのではないか。
まどわされるな。
白いご飯あってこその、ラーメンだろうが。
いま我々は、自分たちの内側の奥深くで眠り果てている「ラーメンの原体験」を、徹底的に掘り起こす作業をしている。
想いを持って未知の現場へと外へ外へと足を運ぶことも、もちろん重要だ。だが、なぜ外へ出る必要があるのかといえば、結局のところ「自らの肉体に刻まれた体験をもとにした情報」こそが唯一無二の価値を持つからに他ならない。
借り物の言葉や、誰かの受け売りの批評などには何の力もない。自分の内側に確固たる座標軸があって初めて、外の世界を正しく測ることができるのだ。
だから、記憶の底の底まで潜ってみる。
まだ何者でもなく、有り余る性欲とやり場のない焦燥を抱え、薄暗い部屋でエロ本を開いてはシコっていた、あの童貞の時代。
あの頃、どうしようもなく愛したラーメンがあった。なぜ、あんなにも狂おしいほどにその一杯を愛していたのか。
いま振り返れば、答えはあまりにもシンプルだ。
その丼の隣には、いつだって「白めし」があったからだ。
脂の浮いた濃いスープを一口啜り、熱々の白い塊を口の中へとかき込む。汁を吸ったチャーシューや海苔で米を巻き、咀嚼する間もなく胃袋へと流し込む。
出汁の繊細なグラデーションだとか、小麦の風味だとか、そんな上品な話ではない。塩分と脂と炭水化物が口の中で暴れ回る、あの圧倒的な暴力と多幸感。
理由はひとつだ。
我々は、
僕らは、
ただ猛烈に腹が減っていたんだ。
身体も、心も、未来に対しても、いつも飢えていて、何かで自分をパンパンに満たさなければやりきれなかった。その底なしの空腹と欠乏を、真正面から受け止めてくれたのが「ラーメンと白めし」という最強のタッグだったのだ。
どれだけ時代が変わり、ラーメンが洗練されたガストロノミーの領域へと進化しようとも、我々の血肉を作ったあの原風景だけは絶対に消えない。
湯気の向こうに立ち上る、白めしの甘い匂い。
すべては、あの頃の猛烈な「空腹」から始まったんだ。
