RAMEN DIARY

個人店の時代がやって来る

Ramen Crazy

男たるもの「時代」に賭けて生きねばならない。
ので、我々は「個人店の時代」に賭けている。

我々は、ずっと以前からそう考えていて、そこに金も時間もつぎ込みまくり、ひた走っている。時代を作るのは「人の足」だ。人の行動だ。

いま我々が追いかけている個人のラーメン店には、自分で考え、自分で決め、実際にやってみる人たちがいる。どんな一杯を出すか。どんな店にするか。誰と、何をやるか。スープの塩分を調律する。その判断が、次の営業にそのまま現れる。

もちろん、思いついたことを全部できるわけではない。金も時間も身体も限られている。その中で働き、挑戦し、休み、回復し、また動く。他の店とつながり、刺激を受け、自分の店へ持ち帰る。

一人ひとりが独立しているから、同じ方角へ進む必要もない。

ある人が麺を考えているとき、別の人はスープを考え、また別の人は店で流す音楽を考えている。ラーメン屋という同じ看板の下で、それぞれがまったく違う世界を作ろうとしている。

しかも、それを面白がって追いかける人たちが、すでにいる。
めちゃくちゃいる。本当だ。

一杯を食べるために、わざわざ出かける。次の挑戦を楽しみにする。店同士のつながりを知って、別の店へも足を運ぶ。その熱量は、ときに作っている本人以上ではないかと思うほどで、日本中を駆け回っている。

我々が見てきたのは、そういう状況であり、
そういう「足の動き」だ。

だから我々は「個人店の時代」に賭けている。

我々には、それがとてつもなく豊かに見える。
使える道具が増えるほど、何を作りたいのかを持っている人間は強い。
AI時代に最も輝くのは「個人」だと確信している。

その豊かさを、継続して伝えるメディアになりたい。

ラーメンを紹介するメディアがない、と言いたいわけではない。店を知る入口はあるし、SNSには店主も食べ手も、自分の言葉で発信している。我々自身、その発信から多くのことを知ってきた。

ただ、流れてきた一枚の写真や、一度きりの告知だけでは、そこへ至るまでの時間は見えにくい。すでに知っている人には通じる話も、初めて出会う人には、何がそんなに面白いのか分からないことがある。

そこを伝えたい。

この人が今、何に挑戦しているのか。それは以前の何とつながっているのか。どうして周りの人たちが、これほど楽しみにしているのか。

一度紹介して終わるのではなく、そのあとを追いたい。次に何を作り、何を変え、何を変えずにいるのかを見続けたい。そうすれば、初めて知った人にも、次を楽しみにする理由ができる。

そして、その人が店へ行き、一杯を食べる。気に入れば、また行く。誰かを連れてくるかもしれない。伝える仕事が、店を続ける力につながるところまで、作りたい。

「そんなに面白い人がいる証拠を出せ」と言われたら、以前の我々なら、SNSを見れば分かるだろう、と答えたかもしれない。

しかし、それで伝わるのなら、我々の出番はない。

気づいていない人に見えるようにする。散らばっている話をたどり、本人に聞き、実際の仕事を見る。こちらの都合で立派な物語に仕立てず、その人がやっていることをそのまま伝える。

証拠を出せと言われたなら、それを一本ずつ出していくのが、我々の仕事なのだろう。

個人店の時代が来る。それは、個人店なら何でも成功するという意味ではない。自分の考えで店を作っている人たちが、もっと広く発見され、その仕事を面白がる人と出会っていく。その可能性に、我々は張っている。

才能も、挑戦も、熱も、すでにある。

あとは、その面白さを伝える仕事を、我々がどこまでできるかだ。

時代が来ると言いながら、ただ待っているわけにはいかない。