RAMEN DIARY

凡人は、記録する。

Ramen Crazy

我々は「RAMEN MOVIE」というYouTubeチャンネルを運営している。

コンセプトは、「ラーメン文化の記録を残すこと」だ。

どんな記録でも残したいところだが、我々の身体も時間も金も限られている。だから、我々が足を運び、カメラを向けられるところから残していく。

一杯のラーメンが出てくるまでに、店では何が行われているのか。

材料を用意する。鍋を見る。麺をゆでる。丼を並べる。客を迎える。その仕事を、誰が、どんな場所で、どのようにつないでいるのか。店主が何かを語るなら、その言葉が生まれた仕事も一緒に残したい。

「すごい店主がいる」と言うだけでは、初めて見る人には何がすごいのか分からない。

その人の手が映っている。手を動かす先に材料があり、道具がある。隣で働く人がいる。その先に、ラーメンを待っている客がいる。そういう関係が見えてくると、一つの動作にも意味が生まれる。

我々が残したいのは、そういう映像だ。

では、何のために記録を残すのか。

あとから来た人が、そこから始められるからだ。

今日、この店を知らなかった人が、来年になって映像に出会うかもしれない。店主の仕事を見て、食べに行こうと思うかもしれない。これから店を始める人が、厨房の動きに何かを見つけるかもしれない。店主自身が以前の仕事を見返して、今との違いに気づくこともあるだろう。

そのとき、その日に撮った映像がある。

記憶をたどって説明するだけでは伝えきれないことを、見てもらえる。

我々が「記録あるものが、次の未来を担う」と考えるのは、こういうことだ。残された仕事に誰かが出会い、何かを受け取り、自分の行動につなげていく。

そこには、経済的な可能性もある。

映像を見た人が店へ行き、一杯を注文する。記録をもとに記事が生まれ、さらに別の人へ届く。過去の取材が、次の制作の出発点になる。記録を残すことで、未来の仕事に使える材料が増えていく。

もちろん、置いておけば勝手にそうなるわけではない。店名も、撮影した時期も、その人が何をしているのかも、あとから見る人に分かるようにしておく必要がある。

記録には、残し方という仕事がある。

そこで、YouTubeである。

映像を公開して残せる。あとから検索して見てもらえる。遠くにいる人にも、同じ映像を届けられる。それを、投稿のたびに掲載料を払うことなく行える。条件を満たせば、収益を受け取る仕組みまである。

なんという仕組みだろうか。

CreatorIQなどが2026年に行った、100か国・5,095人のクリエイターへの調査では、前年の活動収入が1万米ドル未満だった回答者は67%。10万米ドルを超えたのは5%弱だった。YouTubeだけの調査ではないが、発信できることと、大きな収入を得ることの距離を考えさせられる。調査原文

ラーメンYouTuberのSUSURUさんは天才だと、我々は思う。さらに努力家であり、継続の鬼だ。彼のような人財と、そのチームがラーメン業界にいることは、幸運としか言いようがない。

凡人である我々は、何をするのか。

ここで、最初の目的に戻る。

ラーメン文化の記録を残す。

我々が七転八倒してデスクワークをしている間でも、店では仕込みが始まり、営業が終わる。その日の仕事は、その日にしか撮れない。

ならば、撮影できる機会に、きちんと撮る。手元が見えるようにする。声が聞き取れるようにする。分からなかった仕事は、本人に聞く。店名や人名を確かめ、あとからたどれる形で公開する。

一つひとつは、地味な仕事だ。

我々は、その場所をひたすら真面目に作っていきたい。

再生数も、収入も、制作にかかる費用も確かめる。次の取材へ行けなくなるようなやり方では、記録を積み重ねられない。続けられる範囲を見定め、その中で残せるものを増やしていく。

未来に誰が何を見つけるかまでは、我々には分からない。

それでも、その人が見ることのできる一本を、残すことはできる。
その場所はあるのだ。