銀行の行く末
怪獣でラーメンを作る、というSF小説を書いている。
そのために、いろいろ調べている。
恐ろしい仮説を、一つ置いている。
2040年、個人経営のラーメン店は、七店しか生き残っていない。
豚と鶏の骨は、圧倒的な巨大資本にしか調達できない食材になっている。
巨大資本がつくるラーメンは、ほぼ無料で出てくる。そういう世界だ。
どんな世界かと考えたときに、まず考えたことは、銀行がないということ。
正確には、銀行や郵便局にあたる機能はスマホが担い、あの建物自体は別のものに置き換わっている。たぶん資料館や記念館になるだろう。
SF小説は、ひとつ設定を考えると、別の設定が要る。
豚骨や鶏ガラは今の5倍の価格になり、そうなると資本の形を考えることになる。そして、銀行だ。銀行が消える流れを考えたり、人がどうやってお金を受け取り、何を信用して暮らしているのかを考えることになる。
ラーメン一杯の話をしていたはずが、気づけば社会の仕組みを調べている。
最近話題のAIが人類を滅ぼす、という話も、兵器でドーンではない。
人の命を、直接に奪う話でもない。命に匹敵するほど大事なものを、少しずつ、別のものに差し替えていく。それも滅ぼすということだ。
その恐ろしさを、ちいかわがすでに一つのケースとして、ほとんど描いているように見える。かわいい画面の中に、いつの間にか別の仕組みが入り込む。そこで暮らす者たちは、その仕組みの中で働き、食べ、怯え、楽しんでいる。そういう世界を、ちいかわは我々の隣に置いてみせた。
我々も、自分たちなりの想定をするために、全力で調べたい。
未来を当てたいわけではない。想定し続ける訓練である。
SF小説を書く意味は、未来を予言することではない。
まだ起きていない差し替えを、起きたこととして、一度、生きてみることだ。読書をする意味でもある。自分の世界では見えなかったものを、別の世界の出来事として見る。遠い未来の話を読んでいるはずなのに、いま自分の足元で起きていることに気づく。
怪獣でラーメンを作るために調べていたはずが、調べるうちに、我々は「ラーメンが残るとはどういうことか」を考えている。
七店しか残らない世界でも、ほぼ無料の巨大資本のラーメンに囲まれた世界でも、我々は一杯を作りたい。
その一杯が、何に差し替えられずに残るのかを、確かめたい。
Ramen Crazyとして、我々はラーメンを食べる。
その一杯がどこから来て、何に守られ、何に差し替えられずに残っているのかを考える。
