引き継ぎ業務
昨夜のサッカー日本代表の試合を見ながら、「引き継ぎ」ということについて考えていた。
日本代表はウルグアイを相手に3対1で勝利を収めた。先発に抜擢された松木玖生が前半11分に先制点を奪い、途中出場した塩貝健人が後半アディショナルタイムに試合を決定づけるゴールを突き刺す。スコアシートを見れば、二人の若きアタッカーの鮮烈な名が刻まれている。
だが、あのゴールは彼ら個人の閃きだけで突然生まれたものではない。彼らを代表へ呼び、ピッチへ送り出し、足元へ決定的なパスを届けるまでのチーム全体の「つなぎ」があった。機会をお膳立てされ、バトンを託されたからこそ、彼らはその才気を爆発させることができたのだ。個の爆発力を成果へと結実させるための、分厚い構造と引き継ぎがそこにある。
代表の戦いは、目の前の一試合に勝って終わりではない。数日後には次の試合があり、その先には大陸予選や本大会が控えている。いま勝つことと同時に、次の世代が戦える土台を渡し続けなければならない。もしこの引き継ぎが途絶えれば、組織の強さはたちまち瓦解し、あっという間に世界の舞台から転落してしまう。「いま結果を出すこと」と「次へバトンを渡すこと」。その二つを同時に背負わされるのだから、途方もない営みだ。
けれど、この「引き継ぎ」という命題は、代表チームや組織の世代交代に限った話ではない。自分自身の日常にも、まったく同じことが言える。
今日の自分は、明日の自分に一体何を渡せているだろうか。
今日どこまで歩みを進め、何がうまくいき、どこでつまずいたのか。そして次に何をすべきなのか。それを言葉として書き残しておかなければ、明日の朝を迎えた自分は、今日の自分が見つけ出した手応えも教訓も知らないまま、またゼロから手探りで動き出す羽目になる。
うまくいった理由を記録しなければ、成功はただの幸運として指の隙間からこぼれ落ちていく。失敗した理由を刻んでおかなければ、明日の自分は同じ石にまた躓く。そうやって昨日と同じような今日を消費し、同じ失敗を繰り返し、せっかく掴んだ手応えさえ次に繋げられない――。
我々にとって、そんな生き方はクソくらえだ。
だからこそ、ダイアリー(日記)という道具が機能する。今日の自分が立っていた現在地を、明日の自分へと手渡すための伝言板だ。
後世に残すような立派な教訓や、高尚な哲学など書く必要はない。今日何をやったか。何に気づき、どこで転び、明日はまず何から手を付けるのか。その事実と続きを、明日の自分がスムーズに受け取って走り出せるように、ただ淡々と記しておく。
古今東西、名を残した表現者や先人たちも、こぞって日記を書き残してきた。そこには特別な才能も、莫大な資金もいらない。手元のノートと一本のペン、あるいは目の前の画面を開くだけで、今この瞬間から始められる。
明日の自分を走らせるための、今日の引き継ぎ業務。引き続き、しっかりやっていこうと思う。
