RAMEN DIARY

公益社団法人 松戸青年会議所

Ramen Crazy

千葉県松戸市で行われた「松戸ラーメンフェスティバル2026」へ行ってきた。我々が取材中のラーメン店、「らぁめん かじの葉」が出店するためだ。

松戸駅西口のデッキから西口公園へと続く動線は、押し寄せた人々の熱気で膨れ上がっていた。13湯麺、兎に角、フクフク、大勝、ライフイズグッド、かじの葉。どのブースにも長蛇の列ができていた。

これがラーメンの力だ――。

そう言って片付けてしまうのは簡単だが、現場の現実はまるで違う。

我々の視線は、職人たちが繰り出す一杯から、その外側の風景へと自然に向いていた。

腕章を巻き、ハッピを羽織り、通行人の整理に声を嗄らし、チケット売り場の混雑を捌き、ゴミステーションを黙々と巡回する人々。主催である「公益社団法人 松戸青年会議所」の面々だ。

この場をゼロから企画し、行政や警察と粘り強く折衝を重ね、駅前デッキと公園という公共空間を借り切り、安全の動線を敷き、松戸を代表する6つの名店を口説き落としてここに立たせる。その水面下に積み上げられた泥臭い段取りの総量は、想像するだけで気が遠くなる。

我々には、この芸当はできない。

今回、完全に確信した。我々には絶対にできない。

我々の活動は、コンテンツを作り、批評を加え、映像を撮ることだ。それは己の美学と表現の領域であり、どこまでいっても極めて個人的な営みにすぎない。表現が失敗したところで、傷を負うのはほぼ自分たちだけだ。

しかし、「街を巻き込むイベントを仕切る」という行為は、まるで別種の人格と覚悟を要求される。

行政の厳しいルール、周辺住民への配慮、安全管理の重圧、そして何より出店してくれる職人たちのプライドと日々の営業を預かる責任。数千人、数万人の人間が安全に集まり、ラーメンを啜って笑顔で帰っていくという「当たり前」の祝祭空間を現出させるために、彼らは利害と思惑が渦巻く荒波のど真ん中に身を投じている。

職人が丼の中に絶対の小宇宙を創り出す存在なら、主催者たちはその職人たちが思い切り腕を振るうための大宇宙を設計する存在だ。

スポットライトが当たるのは、いつだって職人や店であり、ステージに立つゲストたちだ。汗だくになって段ボールを運び、列の最後尾で頭を下げ、トラブルの火種を人知れず消して回る裏方たちの顔が、ニュースの見出しになることなどあり得ない。

ふざけやがって、と思う。

本当に、ふざけた事態だ。

26歳の一志店主が「かじの葉」の暖簾を掲げ、青空の下で堂々と塩らぁめんを振る舞えたのも、松戸という街のラーメンカルチャーがこうして立体的な熱狂となって立ち現れたのも、すべては舞台裏で泥を被り、街の責任を引き受けた人間たちがいたからではないか。

表現者がどれだけ尖った言葉を吐こうと、場を作る者たちの覚悟の前には頭が下がる。だからこそ、表現者はその大地の上で、甘えることなくもっと徹底的に「尖ったパフォーマンス」をやり抜かなければならないのだ。

街を動かすとは、綺麗事を語ることではない。無数の面倒を引き受け、形にすることだ。

もし何かのご縁で、このようなイベントを我々が映像に収める日が来るならば。そのとき我々は、迷わず主催者側を撮ると心に決めた。

その視点からしか見えない景色の中にこそ、ラーメンというカルチャーの、剥き出しの本質が宿っているからだ。