RAMEN DIARY

作家性の高い個人店

Ramen Crazy

我々の活動の根幹には、「個人店は今の100倍以上の収益を叩き出せる」という確信がある。

それが、活動エネルギーの源泉になっている。

現状の景色を変えること。

それすなわち、ロックンロール‼️

最近はあらゆるところで、ハッキリとそうプレゼンしている。

一日に出せるラーメンの杯数には限りがある。席数も、営業時間も、店主の身体も無限ではない。その中で100倍と言われたら、何を言っているのだと思うだろう。

我々が見ているのは、その店から生まれる価値が、何人に、どんな形で届くかという可能性だ。

一杯を食べた人が、その店主の仕事をもっと見たくなる。映像を見た人が、その人の考えを読みたくなる。その店の世界を形にした作品や商品を、手元に置きたくなる。

遠くにいて食べに来られない人にも、受け取れるものがある。

作家性の高い個人店には、その出発点となる「文脈」がある。

なぜ独立したのか。なぜこの場所で、このラーメンを作っているのか。何をよしとして、何を嫌うのか。誰から影響を受け、何を自分で変えたのか。

そういう判断が、麺にもスープにも、器にも、店で流す音楽にも現れる。客はその中に入り、席に座り、一杯を食べる。

そこで「情報を食っている」などという、シラケたことが言われる。

人間は弱いので、そう言われると、自分が楽しんでいたことまで少々疑わしく思えてくる。

冗談じゃない。

我々は「文脈」を食ってるんだ。

この店主が、前に作っていた一杯を知っている。今、何を試そうとしているのかを知っている。だから新しいメニューが出れば食べに行きたいし、変わらず作り続けている一杯にも、確かめたいことがある。

知ったことで楽しみが増え、実際に食べたことで、また知りたいことが増える。

そこに金も時間も使いたくなる。我々が面白がっているのは、まさにその関係だ。

ビートルズの映画『A Hard Day’s Night』には、演奏に加えて、4人それぞれのユーモアや人物像が描かれている。曲を聴くことから、その曲を鳴らす人たちの世界へ、関心が広がっていく。作品公式紹介

ちいかわでは、漫画に登場するラーメンを再現したメニューが、現実の「ちいかわラーメン 豚」という店になっている。物語の中で見ていたものを、自分も食べられる。ここには、空腹を満たすことに加えて、好きな世界に参加する楽しみがある。店舗公式紹介

そして、その世界は『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』へも広がった。映画公式サイト

我々は、こうした広がりを生む力が、文脈にあると考えている。一つの作品に触れたことが、次の作品や体験を求める理由になる。

では、個人店はどうだろう。

店主の考えや仕事に惹かれて通っている客は、すでにいる。文脈は、もう商売の中で働いている。

ただ、その魅力を受け取る方法が、店へ行って一杯を食べることに限られていたら、届く範囲にも限りがある。

ここに、我々の仕事がある。

店主の仕事を記録し、言葉を聞き、初めて出会う人にも分かる形にする。その材料から、映像を作る。記事や本を作る。店主とともに、漫画や音楽、商品へ広げる可能性を考える。

何でも作ればよいわけではない。

なぜこの店から、その作品が生まれるのか。なぜこの人と、一緒に作るのか。そこがつながっていれば、一杯を食べたときの面白さが、店の外でも続いていく。

そして、それを買ってくれた人のお金が、店主の収益になる仕組みを作る。

撮影する側や商品を売る側だけが潤って、店主の仕事が増えるばかりでは、我々の言う「個人店の収益」は増えていない。制作にかかる費用も、店主の時間も含めて、次を作れる商売にしなければならない。

我々は慈善活動をしているわけではない。

店主が作っている価値を、店主の次の挑戦を支える収益につなげたい。我々自身も、その仕事で稼ぎ、さらに作り続けたい。

そこに選択と集中をしている。

では、その価値の源泉となる文脈は、いつ作られるのか。

今日、取材したから今日生まれる、というものではない。

店を始めようと思った日より前から、すでに始まっている。何を食べ、何を聴き、誰と出会い、どんな仕事をしてきたのか。その人が選んできたものが、店を作るときの判断につながっている。

開店してからも続く。

材料を変える。変えないと決める。誰かと一緒に作る。新しい一杯を出す。その反応を受けて、また考える。

文脈は、そうやってずっと醸造されている。

我々が追いかけている個人店には、その時間がある。自分で選び、作り続けている人がいる。

その作家性が、一杯のラーメンを生み、その先の作品や商売まで生んでいく。

店主が、自分のやりたい仕事を続けるために使える金と時間が増える。

我々が変えたいのは、そこから見える景色だ。